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館長メッセージ
夢二郷土美術館 館長 小嶋光信 この9月16日は竹久夢二の130回目の誕生日です。 生誕120年の時は「二つの故郷」をテーマに髙島屋各店で展覧会などを行いました。「夢二の故郷が二つ?」…きっと疑問が湧くでしょう。 生誕130年では「夢二とロートレック」をテーマにした展覧会を企画し、まず髙島屋京都店、そして生誕日の9月16日を挟んで夢二の故郷の岡山店で行い、その後、順次日本橋店、横浜店と巡回します。展覧会で成功するのは難しいという髙島屋京都店で13日間に32,000名を超す入場者で予想比50%アップは凄い実績でした。 「夢二とロートレック…どんな関係があるのだろうか?」と、これまた疑問が湧くでしょう。 今回、9月13日に岡山で開催した夢二生誕130年記念フォーラムの目玉の一つが、JR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」で話題をさらったデザイナーの水戸岡鋭治さんを特別ゲストに迎えての対談です。これも「なぜ夢二を語るのに鉄道デザイナーの水戸岡さん?」と思われると思います。 館長の一番大事な仕事の一つが、この10年刻みの生誕記念展のテーマとアイデアを決めることです。 この疑問という新たな興味を創りあげ、応えていくのが生誕記念展です。 生誕120年では、大正ロマンと夢二式美人で有名な夢二の全てを見せるというところに注力しました。 当初、夢二は詩人を目指しましたが、詩人では生活していけないので、雑誌「中学世界」へ投稿したコマ絵「筒井筒」が第一賞に入選したことをきっかけに画家としてデビューし、名を馳せて行きました。「心の詩を描く」これが夢二の詩画人としてのスタンスです。そして、封筒や便箋や千代紙などのデザインをはじめ、帯や半襟や浴衣、また本や楽譜の装幀まで実に幅広いデザインの作品を残しています。夢二は今でいう商業デザイナーの草分けともいえるのです。詩に絵にデザインに、これほど多彩な芸術家は世界でも類例が無く、まさにマルチアーティストといえるでしょう。 夢二郷土美術館は夢二の肉筆作品を中心に大作のほとんど全てが収蔵されていますが、浴衣なども含めたデザインやデッサンの多くは夢二の第二の故郷ともいえる榛名山の麓・伊香保にある竹久夢二伊香保記念館にあり、この二つを足すと夢二の全てが見えるのです。120年展では伊香保の門外不出の作品を木暮館長にお願いして出展して頂き、「二つの故郷」展を成功裡に終えることができ、マルチアーティストとしての夢二を立証できました。 今回の生誕130年では、夢二式美人や大正ロマンが生まれた背景を解き明かしたかったのです。 あのミシュランで、パンフレットにある初代館長の言葉にある「夢二は日本のロートレック」と評されたことを手掛かりに、夢二とロートレックの接点を研究しました。ロートレックは、印象派を代表する画家の一人です。印象派は、1867年パリ万国博に徳川幕府、佐賀藩と薩摩藩が浮世絵や版画、日本の美術を出品したことから、一大日本ブームとしてジャポニスムがパリを中心としたヨーロッパで一気に開花しました。 今まで西欧の画家は写実主義が中心でしたが、それに飽き足らなかった画家たちが日本の浮世絵を見て、線描や原色の使い方、自由な背景の取り方やまさに動く瞬間を捉えた構図、例えば北斎の雨の描写や写楽の人物の描写などに鮮烈な印象を受け、影響されました。それをヒントに絵を描き、1874年に展示会でモネが発表した「印象、日の出」を見た新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄したことから印象派と名付けられたそうです。 印象派のルーツは日本の浮世絵や版画であり、「油絵で描いた浮世絵」ともいわれる所以です。日本画の技巧が活きているので、日本人は殊の外、印象派を好むともいえるのです。 夢二も日本の浮世絵や版画の影響や、歌舞伎や村芝居などの日本の伝統を受けつつ、ヨーロッパから入った西洋の文化と印象派などの影響を受けて、夢二式美人をはじめとする独自の画風を創り上げていったといえます。夢二が遺したスクラップブックには、印象派など西洋の有名画家の作品を紹介した雑誌の記事が多数スクラップされていて、勿論その中にはロートレックのものもあり、同時に浮世絵も多く見られるのです。 日本の浮世絵や版画などが、ヨーロッパに渡りベル・エポックといわれる時代に開花した印象派が日本に紹介され、また夢二など日本の画家たちに影響を与えて進化していったのです。 今、日本の美術教育では日本画はほとんど教えられず、子供たちは日本画などの絵画や画家の名前にも全くなじみがありません。一方日本の影響で生まれた印象派の絵画や画家の知識は教えられているので、西洋画(特に印象派)の展覧会は盛況ですが、日本画の美術館や展覧会は限りなく先細りです。西洋画に印象派という革命を生んだのは日本がルーツであり、そのご本家を忘れてはいけません。今まさに日本に必要なものは日本での「ジャポニスム」であり、西洋画の素晴らしさとともに日本の絵画や美術にもっと知識と興味を持ってもらい、将来の子供たちに日本の伝統や文化に誇りを持ってもらいたいという願いが、今回夢二とロートレックをテーマにした展覧会の根底にあるのです。 国際化とはお互いの国や民族の歴史文化を誇りにして語りあい、お互いを認め合うことですが、日本文化を顧みないでは日本人は国籍のない民族になってしまい、民族の誇りは失われてしまいます。 夢二もロートレックも恵まれた家庭に生まれ、若いころは不遇な人生を歩み、女性の愛しさや哀愁を捉えて自らの画風を確立していった点が良く似ています。 「小さき男( Petit Homme)、偉大なる芸術家( Grand Artiste)」と形容されたロートレックは、ポスター「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」に代表されるようにまさに商業デザイナーの元祖であり、この点も非常に良く似ていることから「日本のロートレック」と評して頂けたのだと思っています。 今回の夢二生誕130年記念フォーラムでは、ソプラノ歌手・村上彩子さんの「宵待草」の独唱で始まり、第一部としてこども学芸員のバーチャル美術館ギャラリートークとして当館の所蔵第一号の作品「加茂川」の紹介と、こども夢二新聞の発表会がありました。
第二部のパネルディスカッションでは、まず初めに水戸岡鋭治さんからデザイナーとしての作品紹介をしていただいて、水戸岡先生と私で対談をしました。 この対談は、以下の構成になっています。
  1. 夢二生誕130年の水戸岡デザインの電車、バス、バナーやロゴの紹介
  2. 夢二はマルチアーティスト
  3. 夢二もロートレックも商業デザインを芸術に高めた草分け。水戸岡さんも・・・
  4. 夢二と水戸岡さんの子供への思い
  5. 夢二と水戸岡さんにとっての故郷・岡山
  6. 夢二の夢、榛名山美術研究所
(以上はPDFの画像でご覧ください。) 水戸岡さんも画家になりたかったけれど、画家では生活するのが難しいのでデザイナーになったと言われ、そこも良く似ています。 対談の中で「懐かしさの中に新しさを創る」という水戸岡さんの言葉がキラリと光りました。このデザイン性がまさに大正ロマンの真髄ではないかと思います。水戸岡さんのポスターに見られるように超近代的なLRT「MOMO」の背景に浮世絵のような松林が配されていることからも彼の視点が分かります。 夢二の故郷岡山で、脈々と世界を代表するデザイナーが育っています。 夢二生誕130年記念フォーラム「竹久夢二、未来へのメッセージ」では、夢二とロートレックの対比から、日本こそ今「ジャポニスムの里帰り」で、日本の伝統・文化に支えられた日本画などの日本美術に誇りを取り戻したい、取り戻さなければならない、ということを再認識できました。 もう一つは、夢二が晩年、榛名山美術研究所を設立して成し遂げたかったこと、すなわち「暮らしの中に芸術を」の想いで、大量生産・大量消費に対して、環境に優しい自然の素材、それもできるだけ地産地消で、手による産業で潤いのある生活を提案していくという夢を、現代の我々がどう受継ぎ、実現していくかです。 今回、髙島屋の呉服部門のご協力で450年の歴史を誇る手描き友禅の老舗「千總」さんに夢二作品の中に描かれた着物、帯、襦袢、半襟、傘などを忠実に再現して頂きました。夢二の描いたそれらは、全て夢二のオリジナルなデザインであり、今日見ても斬新でドキドキする出来映えでした(再現した着物や帯は、髙島屋での「竹久夢二展」会場でご覧頂けます)。 いつの時代でも懐かしい、いつの時代でも新しい、それが夢二の大正ロマンです。
参考資料ダウンロード
夢二フォーラムプレゼン資料(PDF) 生誕130年 竹久夢二展 特設サイト
>タカシマヤWebサイト