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館長メッセージ
夢二郷土美術館館長
小嶋光信 夢二の次男・不二彦さんの養女・野生(のぶ)さんが、夢二郷土美術館で個展を開催するために、初めて岡山を訪問してくれました。 野生さんの実父は、挿絵や風刺画文、グラフィックデザイナーとして著名な辻まことさんですが、家庭の事情で生後間もなく辻家と親交が深かった不二彦さん夫妻に引き取られ、実の娘のように可愛がられて育てられました。野生さん自身が、辻まことさんが実父と知ったのは30歳を過ぎてからで、家族としての生活に違和感を覚えたことは全くなかったそうです。 不二彦さんの最初の奥さんは色黒で、目鼻立ちがしっかりした外国人のような美人だったそうで、小学校の頃に顔が似ていないことに気がつきましたが、きっと大人になったら母親似の美人になると思っていたと笑って話してくれました。 急遽、5月17日に野生さんと二人で、美術館でギャラリートークをすることになり、コロンビアでのお話を伺いました。コロンビアへは造園家だったご主人の仕事の関係で渡ったそうで、当初2年の予定が40年も滞在することになったと笑って話されていたのが、流石、ラテン系の国で長期間暮らされている方だと、底抜けの明るさを感じました。有名な夢二の孫ということで敢えて絵から遠ざかっていたということですが、30歳代になってコロンビア国立大学芸術学部美術科で絵を学び画家になられたそうです。 私も約30年前、青年会議所の世界大会がコロンビアのカルタヘナで開かれたときに首都ボゴダを訪れましたが、空港の周りでは沢山の難民がバラック建ての小屋で暮らしており、街に入った途端、急に中世のスペインのような綺麗な街並みになって、その生活の落差にビックリしたものです。カリブ海側の避暑地カルタヘナでは夕方から朝まで、植民地時代に奴隷としてアフリカから連れてこられた人々を起源とする南米特有のラテンのリズムがドンチャカ、ドンチャカ鳴り響き、歌と踊りで「いつ働くのか?」と不思議でしたが、野生さんから、それでもちゃんと朝から働く凄くタフな民族ですと聞いて、懐かしさとともに変に納得しました。 野生さんの初期の作品は、貧しい人々がひたむきに生きる姿を描いた力強い絵でしたが、生活が変わるとともに、それらの人々を思い切り描けなくなり、抽象画に転向されていました。労働者層の過酷な現実を知るにつれて、その生活の一面だけを美しく描くことに疑問を感じられたそうです。 私とのトークでは、不二彦さんを通じて「夢二の人となり」を感じていただこうという点に絞って質問させていただきました。 不二彦さんは幼い頃に一時、貴族院議員の家に預けられていたこともあり、礼儀作法が大変優雅で、優しい人物だったそうです。子どもの頃、レストランで洋食のナイフとフォークの使い方を教わっていた際、落としたときには自分で取らずにボーイが来るからと聞いていましたが、実際に不二彦さんが落としたらボーイが来る前に、ナイフとフォークをさっと自分で拾って、自分で拾っても良いんだよと教えてくれたとのこと。決まりは決まりで良い、決まりに捉われる必要はないという柔軟な考えと、その仕草が大変優雅で、父親に憧れを感じたと目を輝かせながら語って下さいました。 また、大変オシャレで、子どものように夢見る男性だったそうで、そういうところは夢二にそっくりだったのではないかとのことです。美男子で、オシャレで優雅な立ち居振る舞いで、女性にもよくモテたそうですが、妻以外の女性との噂はなかったところは、おじいさん(夢二)が反面教師になっていたようです。 短時間でしたが、夢二の人となりと、不二彦さんがこよなく可愛がって育てた様子が感じられるギャラリートークとなりました。 今回、夢二が婦人雑誌の挿絵として描いた直筆のペン画と、夢二が不二彦さんのために買ってあげた欧米の絵本などを2冊持ってきてくれました。そのほのぼのとした絵本からは夢二作品の題材の参考になった感触が得られます。 お昼には、烏城と後楽園を見ながら、夢二の好物だった鰆が入った岡山の祭りずしを一緒に食べて夢二を偲びました。 夢二の生誕130年が引き寄せてくれた、楽しいひと時でした。