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館長メッセージ
夢二郷土美術館館長 小嶋光信 さて、夢二生誕130年を記念して、後世へ残すに相応しい記念事業は何かと考えあぐねた末に、夢二が作品『童子』(どうじ)にも描いている、夢二の母の実家跡に残る椿を夢二生家の庭に植樹することにしました。 今日の植樹祭は、母の実家跡のご近所の千種健吾さんが、長年、夢二の思い出の椿を守って下さっていて、小嶋館長代理が千種さんを訪ねていったとき生家にこの思い出の椿の苗をぜひ植えたいとお願いしたら、快くいいですよと言ってくださったことがきっかけです。 夢二がこよなく愛した優しい母と故郷、楽しかった村祭りや、大好きだった鰆の入った寿司、故郷へ帰れば童心に戻り、「花のお江戸じゃ夢二と呼ばれ郷里にかえればへのへの茂次郎」と戯れ歌を歌って懐かしんだ故郷の生家の庭に、思い出の椿を植えることが最も夢二好みだろうと思いました。 夢二の生家を夢二郷土美術館分館として一般に公開していますが、画家の生家を美術館にしている例は全国でも珍しく、生前、岡崎嘉平太さんと一緒に訪れた土光敏夫さんから「日本一の美術館だ。最も金がかかっていない!」と持ち前の節約精神に基づいた最大限の賛辞(?!)をいただいた美術館です。 母屋だけでなく納屋までも美術館にした、この日本一の生家美術館には、他に、夢二の最初で最後の持ち家であり、自らが設計した「少年山荘」を復元した建物や少年山荘と夢二生家を結ぶ「茂次郎橋」もあり、夢二芸術の原点に触れることができる聖地といえるでしょう。 岡山後楽園外苑にある美術館本館と共に、地域の皆さんに守られている生家を訪れると、「泣く時はよき母ありき 遊ぶ時はよき姉ありき七つのころよ」 と詠う夢二の声が聞こえてきそうです。 この植樹した椿を「夢二椿」と名付けて、これから毎年椿の花が咲くころに記念の催しをしながら、この椿とともに、夢二が生まれ育った生家を守っていきたいと思います。 『童子』の絵のように、いつの日か邑久の子どもたちがこの椿の木を囲んで、カゴメ、カゴメを歌って遊んでいる姿が目に浮かびます。