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    見ごたえある「竹久夢二と榛名―理想郷を求めた夢二―」展
館長メッセージ
夢二郷土美術館
館長 小嶋光信

来年の夢二生誕140年へ向けて色々な企画を今から計画中ですが、その前哨戦として企画した「夢二と榛名」展が実に見ごたえがある展示です。

夢二のふるさとは、もちろん岡山ですが、夢二がその晩年に理想を求めて度々訪れ、心のふるさととも言えるのは榛名山とその麓にある伊香保です。

外遊先から知人に宛てた手紙にある「日本に帰りたいとは思わないが、伊香保には帰りたい」という一文が如何にも夢二らしく、伊香保や逗留先の塚越旅館の二女・塚越迪子さんへの郷愁を感じさせます。

今から100年前の大正12(1923)年、夢二の全盛期に突如として襲った関東大震災によって、夢二の人生観が大きく変わっていく様がよく分かります。そうです、大震災で廃墟と化した東京を目の当たりにして、理想郷を求めて榛名山に惹かれていく夢二、榛名山にアトリエ「山の家」を建て、その間に織りなす伊香保での人間交流と人生観が晩年の夢二芸術を大きく「生活の美」へと誘い「榛名山美術研究所」設立へとつながっていきます。

心の詩を描く画家として、詩人として、また優れた商業デザイナーとして多彩な能力を遺憾なく発揮して時代の寵児となった夢二は、もし実現していれば、現代グラフィックデザインの先駆けともなったであろう総合的なデザインを手がける「どんたく図案社」を結成しようとした矢先に関東大震災で本所の印刷所が壊滅して挫折しました。この図案社ができていれば、その後の日本のグラフィックデザインの世界も大きく変わっていたと思われます。

図案社の壊滅にも負けず、夢二は震災の直後から連日、廃墟と化した東京をスケッチブック片手に歩きまわり、都新聞に挿絵付きルポ「東京災難画信」として掲載していますが、大震災と人とが織りなす変化の描写が如何にも夢二らしいといえます。

今回の展示でも当時の新聞記事を分かりやすく現代文として訳したものが展示されていますが、夢二の目を通して大震災で変わりゆく人間の心と有り様が見てとれます。

そしてその後、借り家暮らしをやめて人生初の居宅として少年山荘を建築し、新しい生活と人との交流とともに、理想郷を榛名山に求めていった夢二が出会った塚越旅館の二女の迪子さんとの交流などが本展でよく分かります。

1.迪子さん旧蔵の25点のうち21点が展示されていますが、小嶋ひろみ館長代理の調査により、高崎市のご厚意で岡山では初めて展示されるものばかりで圧巻です。夢二が外遊先から迪子さんに送った手紙やはがきなどから交流の様子がよく分かります。

2.伊香保での逗留先の一つである岸権旅館の所蔵品5点のうち4点が出品されていますが、そのうちの一つに先々代の女将さんのために夢二が描いた梅に竹の葉と松葉の羽二重を後に羽織に仕立てられた目出度い作品も素晴らしいものです。揮毫された「南枝早春」も夢二が度々画題に使っています。

3.万葉集を愛した夢二が好んで使った「山河相聞」を題材にして山を榛名山として色々描かれていますが、終生の恋人としての彦乃さんへの思いから、だんだんと人と人との思いへと変化していき晩年の「青山河」につながっていくかと思われる描写の数々も一堂に会して見てとれます。

4.変わり種の夢二芸術としては、夢二が迪子さんに描いたお皿などの作陶と夢二が発注しようとした盃のデザイン画、夢二が以前から作陶にも思いがあったのか作陶している男性を描いた2点の絵がありますが、「生活の美(暮らしの中の芸術)」を志した夢二の姿が見てとれます。

5.夢二生家記念館には夢二の大ファンで、夢二美人こそが理想の女性という歴史学者の磯田道史さんが「武士の家計簿」の出版記念に古書店から買い求めた「少年の図」も展示されていて、これも素晴らしい一品でしょう。

6.9月16日の夢二誕生日には、本館と生家記念館・少年山荘の共通入館券を購入してくださった方を対象に、あの人気の「黑の助バス」で往復無料の送迎などの特別イベントがあり、展示だけでない楽しみがあります。

9月12日から12月3日までの会期中、本館と生家記念館・少年山荘で数々の催しがありますので、芸術の秋から初冬にかけて夢二芸術の世界をお楽しみください。