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Yumeji Art Museum (Main) is particularly proud of its vast collection of Yumeji’s most exquisite original paintings such as the famous ‘Autumn Goddess Tatsuta hime’, the ‘Nude Woman of the West Coast’, the ‘Rest in Autumn’ and the ‘Kamo River’. There are in total three thousand pieces. Usually over a hundred pieces are on display. Special exhibitions are held four times a year to showcase the extent of Yumeji’s work. Also we have four seasons themed exhibitions at "Yumeji Birthplace Memorial Museum" during which thirty pieces are displayed.
大正元年 (1912) /カンバス、油彩
日本画、水彩画、版画など、多様な表現を試みた夢二。
「初恋」は、確認されている中で最も初期の油彩作品です。
大正元年、京都府立図書館で開かれた「第一回夢二作品展覧会」
に出品された137点の内の一つであり、当時百円という価格が
ついていました。塗り残されたキャンバスの白い肌が見える粗い
タッチを積み重ねた画面は、夢二の同時期の日本画にも見られる
特徴の一つです。身体のわりに大きな手など、独特のデフォルメ
で描かれた女性の背景には、手で顔を覆った男性の姿が見えます。
このような男女の構図は「生ける屍」などにも見られ、暗色に包
まれた黄昏時の情景に憂鬱さ、物悲しさ、やるせなさをいっそう
漂わせています。
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昭和6年(1931)/絹本着色
寺の鐘なら ひけば鳴ろ
おいてもくんな 切れた縁
引けばとて
かの浅草の踊子をおもひて 清水兄におくるとて
辛未春宵 夢生
江戸時代から浅草寺の門前町として栄えた浅草は、
明治になり大衆歓楽街として盛況を呈しました。
和と洋の文化、人間の業・善悪・愛憎が渦巻いた庶民の街浅草を、
夢二は殊の外好み、度々出掛けたといいます。
踊り子の解けて流れた帯、さしのべた手、悲しげな視線は
心惹かれる先へと向かっていますが、切れた縁は再び戻らないこ
とを膝元の扇は暗示しています。
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湖畔舞妓図
Maiko at the Lakeside
昭和初期/紙本着色
湖畔の野で風流な一時を過ごす舞妓が、両端の立木を
額縁にして描かれています。夢二の描く女性は、時代と共に変化
し、明治末期から大正にかけては瓜ざね顔、大正中期には丸顔と
なりましたが、一貫して眼はぱっちりと西洋的であり、口は小さ
く描かれています。
大正後期からは顎の細い現代にも通じる美人となって、夢二らし
い灰汁(あく)の強さは影をひそめました。
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トランプをする娘
Girl Who Plays Cards
昭和初期/絹本着色
トランプをする娘の背景の、屏風に書かれている漢詩の作者は、
杜秋娘(としゅうじょう)ととされており、「ただ若き日を惜し
め」の題で『車塵集(しゃじんしゅう)』に収められています。
『車塵集』(昭和4年)は、佐藤春夫が六朝から明清代に至る女
流詩人の詩四十数篇をまとめた訳詞集で、杜秋娘は数奇な運命
に翻弄された唐代の人で青春を惜しむ歌を多く詠み、杜牧(と
ぼく)によってその名を世に知らされました。
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昭和4年(1929)/紙本墨画淡彩
全てが省かれた背景に自作の俳句と銀紙の意匠が左右対称をなし
て、画面の均衡を保っています。
渡欧中ベルリンのイッテンシューレでの講演メモ「日本画に就い
ての概念」中の“日本画の画面に何も描かれてゐない餘白(よは
く)を見なかったであらうか。
〈略〉有るものよりも、有らんとするものに、想像の喜びを残し、
動きの可能を示さんとする企てである”
からも、「大徳寺」は、夢二が辿り着いた夢二の日本画であると
言えるでしょう。
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夢うらなひ
Dream Fortune Telling
大正後期/絹本着色
純日本的な舞妓と西洋的なトランプの組み合わせは
夢二の美人画にはよく登場しますが、恋しい人のことを思い、
トランプで占う女心が、ろうそくの薄明かりの中にゆれ動いてい
るようです。
淡いピンクとオレンジの衣裳が、はんなりとした柔らかい雰囲気
を醸し出しており、上下に大きくとられた余白が、この場の情景
をより伝えています。
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大正後期/絹本着色
夢二は稲荷詣を好み、また請われて、幼い女の子や舞妓、
商家のお内儀などを千本鳥居に配してたびたび描いています。
同じ主題で、初期に描かれた「稲荷山」(明治末~大正初期)と
比べると描線が滑らかになり、趣きのある安心感も感じられます。
稲荷神と縁の深い白狐の化身かと見紛う舞妓の表情や姿に、
夢二の剽軽(ひょうきん)な遊び心がうかがえます。
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桜下五美人
Five Beauty under...
大正10年(1921)頃/絹本着色
Five Beauty under cherry blossom trees/
桜花の舞う中思い思いの晴れ着を身にまとった女の子たちは
「子を捕ろ 子捕ろ(こをとろ ことろ)」の遊びに興じており、
リズミカルに動き回る様子が袂(たもと)の揺れに見てとれます。
その平和な姿に、画会で訪れた山形県、酒田での夢二の満ち足り
た日々が偲ばれます。夢二の妻であったたまきは、後に夢二を回
想し“夢二は環境のよい時には清純になれる人だった”と語って
います。
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大正11年(1922)頃/絹本着色
『広辞苑』によれば、白夜とは“北極または南極に近い地方で、
夏、日没から日の出までの間、散乱する太陽光のために薄明を呈
すること”とあります。
良家の子女でしょうか、お下げ髪の娘は心に思う人を待っており、
夕べになっても暮れてほしくない心境にあるのだろうと想像され
ます。頬を染め、袂(たもと)で胸を押さえるポーズもいじらし
く、青地に白い鶴が舞う大胆な模様の着物と赤い帯が、色白で美
しいこの娘によく似合っています。
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大正中期/絹本着色
十七、八歳でしょうか「夏姿」の舞妓は、すすき模様の単衣
(ひとえ)から赤い長襦袢(ながじゅばん)がほのかに透けて見
えます。
大正時代には、赤い長襦袢に絽・紗(ろ・しゃ)などの薄ものの
単衣を重ねるのが流行したといい、その微妙なかさねの色合いを
描く手法に夢二は特に優れていました。
また大正中期は舞妓を集中的に描いており、女絵の円熟期である
とも言えます。
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大正中期/絹本着色
人間の美しさは立ち姿にあるといわれますが、扇を少し開いて
口もとに添えて振り返った「舞姫」は清艶な美しさを漂わせてい
ます。
黒と赤に染め分けられた帯に書かれているのは、
夢二お気に入りの言葉「まいらせそうろう」の文字を模様化した
もので、祝儀袋や封筒のデザインとしてもよく用いられました。
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大正中期/紙本着色
着物姿の女性の振り返る美しさは菱川師宣の「見返り美人図」
に代表され、“菱川やうの吾妻俤(あづまおもかげ)”と表現され
ます。
身体を折りたたむようにして、振り向いた花魁は“夢二ようの面
影”とでも言えるでしょうか。
豊かな黒髪にべっ甲の簪・笄(かんざし・こうがい)、艶やかな
色を重ねた襟に大胆な柄の衣装をまとい、何か言いたげな風情は、
一見退廃的でありながら、品格を失っていません。
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明治末〜大正初期/紙本着色
神社仏閣への関心は幼い頃の環境によるものと思われますが
丘のむこうまでS字状に立ち並ぶ千本鳥居の一本一本に
人の願いが込められた、人の思いのトンネルが
夢二の心をとらえた大きな要因といえるでしょう。
稚拙とも見える描線は、初期の夢二画の特徴であり、
バランスの崩れた人物描写が、かえってこの場面を情緒の深いも
のにしています。衣装の青海波(せいがいは)に千鳥が遊ぶ日本
の伝統模様とサーフボードに乗る兎のとり合わせが斬新です。
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昭和初期/絹本着色
晴れ着姿で羽根つきを楽しむ、懐かしい正月の光景。
最近では、見られなくなりましたが、羽根を打つ乾いた響きが
耳に蘇ってくるようです。
梅の枝が、S字を描くように配され、画面に動きと奥行きを与え
ています。
手前の女性は、振袖の長い袂を左手で押さえ、これから突く羽根
を追う眼差しも真剣ですが、画面奥の女性は、その様子を眺める
かのように微笑みを浮かべています。
紅白の梅に加え、羽子板には竹が、帯には石榴(ざくろ)が描か
れ、新春にふさわしく縁起のよい意匠が凝らされています。
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昭和初期/紙本着色
どんよりとした灰色の空、冬木立も寒そうな一面の雪景色の中、
大きな雪だるまをはさんで、雪合戦の最中でしょうか?
帽子やマフラー、ハイソックスなど、当時としては新しい
洒落た洋装に身を包んだ子供たちは、寒さを気にもせず、
活き活きとした表情に満ちています。楽しげに呼び合う声が
今にも聞こえてきそうな、動きのある描写がすばらしい作品です。
現代っ子たちにも、こんな風に元気に四季折々の自然に親しんで
もらいたいものです。
この作品のもうひとりの主人公は、ニンジンでできた赤い鼻や竹
箒の手が、どこかユーモラスな雪だるま。
その顔には、不思議と生きている人間のような表情があります。
まるで子どもたちを見守るかのように佇む姿に、社会的弱者で
あった女性や子供を同じ視点に立って描き続けた詩画人・竹久
夢二の温かな眼差しが重なります。
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大正4年(1915)/絹本着色
Kotatsu (Japanese Foot Warmer)/
右隻の「一力」と左隻「こたつ」は、当館の代表作のひとつです。
この作品は、大正4年3月、富山市桜木町の「渦巻亭」で制作さ
れ、同亭で開かれた展覧会に出品された記録が残っています。
「こたつ」は遊里の人々の裏側、「静」の場面。
こたつを中心に、それぞれにくつろぐ女性の姿が描かれています。
こたつ布団の桜草の模様は、夢二の千代紙などのデザインにも見
られます。
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大正4年(1915)/絹本着色
歌舞伎の人気演目となっている『仮名手本忠臣蔵』の七段目
「一力茶屋」には、主君の仇討ちを胸に秘めながら、夜毎祗園へ
通い、遊蕩にふける大星由良助(大石内蔵助)と、周囲の人間模
様が描かれています。
「一力」は、賑やかな三味の音にのって、由良助が遊女たちと戯れ
ながら登場する場面。
夢二は、平面でありながら、折れにより独特の空間を生み出す屏
風の性質を活かし、由良助と三人の遊女たちを効果的に配置する
ことで、画面に動きを与えています。
対をなす「こたつ」との、“動”と“静”の対比も興味深い夢二最
大の作品です。
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大正3年(1914)/絹本着色
たわわに実った林檎の樹の下に立つ女性は、大きな瞳が印象的な
顔立ちとその雰囲気から、妻のたまきをモデルに描かれたものと
思われます。
林檎の幹が描く緩やかな曲線と女性のS字のポーズ、果実の淡い
紅色と頬や袖口の色合いなどは互いに呼応し、樹木と女性像を一
体化させています。
木綿の着物に大きな前掛け、素足に草履という飾り気のないスタ
イルながら、清楚な美しさを感じさせる女性像によって、“林檎”
のもつイメージを表現した、夢二ならではの生活に根差した美人
画と言えるでしょう。
林檎の実を穫り入れた“あけびの籠”は、手による生活産業美術
という、後の夢二の理想へと続くものです。
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昭和初期/絹本着色
ショートヘアに赤いワンピースと、モダンな装いの女性が座って
いるのは夢二自らの設計によるアトリエ付住居「少年山荘」のテ
ラス。
大きな十字架模様のテーブルクロス、秋の果物を盛った竹籠など
から、夢二の暮らしへのこだわりやセンスがうかがえます。
斬新なスタイルに身を包みながら、うつろな表情を浮かべる女性
の心の内を物語るのは向かいの空いた椅子と、一客のティーカッ
プ。
葡萄棚とその支柱によって囲まれ、閉じた画面空間も、女性の孤
独感を際立たせています。
この作品は、男性像と女性像それぞれを二曲の屏風に配し、一双
とした「憩い」の右隻です。
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大正後期/紙本着色
鴨東(おうとう)とは、京都・鴨川の東の地域をいいます。
古い港町や歴史ある家並みの町を好んだ夢二は、大正5年
(1916)の秋から
約2年間を京都で暮らしました。現在、二年坂(京都市東山区
)の一角に、
寓居跡の標が建っています。
東山を背景に、橋の欄干に腰掛ける舞妓の姿は、夢二が描く美人
画の典型である
緩やかなS字型の曲線を描いています。画面は淡い墨色でまとめ
られ、帯や襟元などに施された色彩が控えめながら、京美人のあ
でやかさを演出しています。
ゆったりとした足元に、夏から秋へと移ろう空気の流れが感じら
れる大正後期の佳作です。
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昭和初期/絹本着色
さんやぁ 逢ひに来たれど 戸はたゝかれず
唄の文句で さとらんせ
千九百二十一年 於三春
大正10年8月、夢二は福島県を中心に東北地方を巡り、
27日には三春の「川北旅館」で画会を開きました。
その夜、盆踊りに参加し、この作品にはその時の情景が描かれ
ています。
前から三番目の赤い着物の女装した人物が夢二で、
その姿は「なかなかきれいだった」と旅館の番頭さんが語って
います。
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星まつ里
Hoshi Matsuri (Star festival)
昭和初期/絹本着色
和歌や願い事を書いた短冊を笹の葉につるし、動物に見立てた
茄子などを供える、
今では懐かしい七夕の風景です。
二人の女性の華やかな髪飾りや着物、帯の斬新な色遣いや
意匠などにも、夢二の繊細な感性が感じられます。
独特の美人画で一世を風靡した夢二が、生涯に1200余首の
俳句を詠んだことは
あまり知られていませんが、自作の句を画賛に用いた詩画形
式は
昭和期の作品の特徴の一つです。
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大正15年(1926)/紙・ペン、水彩
手足をそろえて行儀よく座り、首を傾けて画面右側へと
視線を向ける女性と猫は、同じポーズをとっています。
二人の相似になった姿の繰り返しが、この絵の印象を強くして
います。
女性の表情がやわらかいのに対し、猫は耳をピンと立て全身を
緊張させており、
見る人の興味を視線の先へと誘導していきます。
ガラス窓にカーテン、洋風の猫と、着物姿で指輪を付けた女性、
和と洋が混じり合った夢二の暮らしの一コマです。
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大正初期/絹本着色
作品に登場する愛らしい子どもたちも夢二作品には欠かせない
モチーフです。
大きな椿の木の下で手をつなぐ子どもたちの姿は、幼い日の
夢二や妹の姿でしょうか。
夢二の生家から少し離れた母也須能(やすの)の里にも大きな
やぶ椿の木があり、
この下で遊んだと、妹の栄は後に語っています。
子どもの頃に見た印象そのもののような、子ども達の顔ほども
ある大きな椿の丸い花。
いきいきと咲く赤い花々は、元気な子ども達といっしょに遊ん
でいるようです。
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大正3年頃(1914)/絹本着色
夢二郷土美術館を創設した、松田基初代館長のコレクション
第一号の作品です。
京都の加茂川の彼方を眺める舞妓の白いうなじから、肩、着物
の裾に至るやわらかな曲線に、日本女性の美しさが表現されて
います。
かすれた描線は、コマ絵・挿絵などの小画面から、縦長の大画
面に挑んだ夢二の初期の作品の特徴です。
淡い色調の画面を、赤い襟(えり)と黒地に大きく草花を配した、
だらりの帯がひきしめています。
舞妓のファッションに見られる斬新な夢二のデザインは、
現代の私たちが見ても新鮮です。
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大正9年(1920)/紙本着色
鮮やかな黄色に紅葉したプラタナスに囲まれて、着物の女性は
ベンチで物思いにふけっている様子です。手には青い洋傘を持ち、
隣には大きな信玄袋(しんげんぶくろ)が置いてあります。
夢二が好んだ和の装いと洋を取り混ぜたスタイルには、
大正時代の華やかさや美しさが表現されています。
しかし一方で、この作品が描かれた時代は、米騒動など、
庶民の苦しい現実という
もう一つの背景がありました。絵をよく見ると、女性は素足に
下駄を履いており、身につけているのは木綿縞の質素な着物で、
田舎から上京したものの途方に暮れているようにも見えます。
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昭和6年(1931)/紙本着色
晩年の大作「立田姫」は、当館コレクションを代表する作品です。
夢二自身が、
「自分の一生涯における総くくりの女だ。ミス・ニッポンだよ。」
と語ったと伝えられている、夢二が到達した理想の女性像です。
鮮やかな赤い着物を着て、こちらに背を向けて立つ姿は、
大胆にデフォルメされ、夢二の美人画の特徴である
S字のポーズをとっています。
豊作を司る秋の女神である“立田姫”の賛は、
昭和6年(1931)/紙本着色中国の詩人・杜甫(とほ)の
「歳晏行(さいあんこう)」の一部を引用しています。
「去年は米が高くて日常の食にも事欠き、
今年は米が安く農民は苦しい生活をしなければならない」
という意味です。
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ワイニマの桟橋
A Pier on the West Coast
昭和7年(1932)/カンバス・油彩
幼い頃からの外国への憧れと、新境地開拓への望みを抱いて、
昭和6年(1931)、夢二はアメリカに渡ります。
折しも、不況下で思うように絵は売れず、体調にも不安を抱えた
夢二に、カリフォルニアの日系人たちは協力を惜しまなかったと
言います。
この作品を購入した日系人は、太平洋戦争下の収容所生活の間も
手放すことなく守り伝え、戦後半世紀を経て、日本へ、故郷へ帰
ってきた貴重な作品です。
ワイニマはロサンゼルスの北方に位置する西海岸の町。
画面中央へと力強く突き出た桟橋や、波立つ群青の海に、
自分の納得のいく美を追求し続けた、夢二最晩年の気迫が感じら
れます。
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昭和8年(1933)/紙・ペン、水彩
公園の昼下がり、思い思いにくつろぐ人々の姿がペンを用いて軽
快に描写され、水彩絵具による的確な表現は明るい陽光を感じさ
せます。
現代的なセンスを感じさせるこの作品は、竹久夢二がドイツのベ
ルリン市西部にあるウィッテルスバッヒャー広場の光景を描いた
ものです。両端の人物の半身を画面外へ意識的に切り取った斬新
な構図は、小さな画面(縦27×横24cm)に広がりを与えてい
ます。
夢二がアメリカを経てヨーロッパに渡ったのは、昭和7年
(1932)10月のこと。
約10か月間滞在し、ベルリンを中心にウィーン、パリ、リヨン
など各地を巡りました。
昭和8年4月から約2か月間、イッテン・シューレで日本画の
講師を務めた際の講義テキスト「日本画についての概念」は、
夢二の芸術論として殊に有名です。
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西海岸の裸婦
Nude on the West Coast
昭和6-7年(1931-32)/カンバス・油彩
1931年に外遊に出帆し、約1年間カリフォルニア滞在中に白人
の裸婦を描いた油彩画で、夢二の並々ならない挑戦の意欲を感じ
られる傑作。女性の表情、透き通るような白い肌や髪の毛の表現、
また女性のからだに並行するようなデザイン的なストライプの背
景に夢二の新しい画境への挑戦が感じられる。
背景の深い青は太平洋、緑は山、茶色は大地を思わせ、理想の女
性像を追い続け描いた夢二式美人の真骨頂である。
夢二の現存する油彩画は数少なく、美術館に収蔵されている油彩
画19点のうち12点を当館が所蔵する。また、裸婦を描いた作
品も希少で白人女性を描いた油彩画はこの1点だけだろう。
この作品との出会いのきっかけは夢二生誕130年を迎えた
2014年の春に美術館のフェイスブックに届いた一通のメッセー
ジだった。この作品の存在は研究家の間では知られていたものの
所在がわからなかった幻の油彩画だった。2014年ロサンゼルス
でアランミヤタケ氏より正式にこの作品を譲り受け当館の所蔵作
品となり夢二の郷土岡山へ里帰りした。
この作品を夢二から譲り受け所蔵していたのは1931年に外遊に
出てロサンゼルスに滞在していた竹久夢二を世話した日系人1世
の写真家宮武東洋。その後3代に渡ってロサンゼルスの宮武家に
大事にされていた作品。
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