
昭和4年(1929)/紙本墨画淡彩
時雨るゝや 眉引きなほす 大徳寺
千九百二十九年秋 夢生画
全てが省かれた背景に自作の俳句と銀紙の意匠が左右対称をなして、
画面の均衡を保っています。
渡欧中ベルリンのイッテンシューレでの講演メモ「日本画に就いての概念」中の
“日本画の画面に何も描かれてゐない餘白(よはく)を見なかったであらうか。
〈略〉有るものよりも、有らんとするものに、想像の喜びを残し、
動きの可能を示さんとする企てである”
からも、「大徳寺」は、夢二が辿り着いた夢二の日本画であると言えるでしょう。