
昭和6年(1931)/絹本着色
寺の鐘なら ひけば鳴ろ
おいてもくんな 切れた縁
引けばとて
かの浅草の踊子をおもひて 清水兄におくるとて
辛未春宵 夢生
江戸時代から浅草寺の門前町として栄えた浅草は、
明治になり大衆歓楽街として盛況を呈しました。
和と洋の文化、人間の業・善悪・愛憎が渦巻いた庶民の街浅草を、
夢二は殊の外好み、度々出掛けたといいます。
踊り子の解けて流れた帯、さしのべた手、悲しげな視線は
心惹かれる先へと向かっていますが、切れた縁は再び戻らないことを
膝元の扇は暗示しています。